19933月16日、ロシアの「ノーバヤ・ブレーミヤ」誌と1998年6月26日の「トルネード7」紙が金正日の父は金日成ではなく、金策(キムチャク)と名乗る日本人上級工作員・畑中理(はたなかおさむ)である」と暴露しました。

 

 

また、金日成は4人いて、このうちの3人は金成柱、金顕忠、金一星という日本人工作員で、彼らが英雄となれたのは、日本の陸軍中野学校や士官学校を卒業し日本軍の戦術を熟知していたためでした。

 

 

公式には3人とも抗日戦で戦死し、金策も朝鮮戦争で戦死したこととされていますが、金策は真田忍者衆の末裔であり、日本の國體京都皇統が日本統治下の朝鮮での反体制運動の中に送り込んだ、中野学校出身の陸軍特務少佐で、頭山満や内田良平らが1901年に設立した「大亜細亜主義」を理想とする国策遂行団体「黒龍会」のメンバーですが、日露戦争の勝利を諜報活動で促進した明石元二郎陸軍大佐系列の間諜(スパイ)でもあります。

 

 

また、金策には、「金正日」と「金国泰」「金巳男」という三人の息子がいました。このうち金正日は、「お抱え料理人」だった藤本健二氏によれば大の親日家で、日本の「ラ王」や「力うどん」などのカップ麺を食べ、カラオケでは日本の軍歌を歌い、車はセンチュリーに乗り、パソコンはNECを使用し、日本のテレビ番組を好んだといいます。

 

 

金正日は日本のカップ麺を食べながら「日本の料理というのはインスタントも含めて、すべてカツオブシが基本になっているのだな」と、いつも感心していたそうです。  

 

また1982年、金正日は万景峰号で極秘来日、赤坂クラブ「コンドルブルー」のショーを見て気に入り、北朝鮮に舞台を再現して「喜び組」に同じショーをやらせていました。プリンセス天功のイリュージョンを見たのもコンドルブルーで、その後たびたびプリンセス天功を北朝鮮に招くようになりました。

 

一方、当時9歳だった金正恩も、1992年頃、別人に成りすまして日本に入国。藤本健二氏によれば、正哲、正恩、ヨジョンの高英姫の子供たち3人も両親同様に日本好きで、日本のお菓子はもとより、日本食も抵抗なく食べていたし、日本語を勉強し、日本についての知識もある親日家であるということです。

 

 

そして、この「金正恩」は金正日と「横田めぐみ」さんの息子で、実際、めぐみさん似の顔立ちであり、金正恩には旧朝鮮王室と日本皇室の血が流れており、横田めぐみさんは朝鮮國體で最高権力者の地位にある"国母"となって現在、スイス・ジュネーブで陣頭指揮をとっていると國體筋から仄聞しています。 

 

なお、北朝鮮でナンバー2といわれ、粛清されたと報道されてきた「張成沢(チャンソンタク)氏」も生存しており、現在、シリア政府軍の軍事顧問として見事に対欧米戦に勝利し、現地で英雄となっており、また、先年暗殺されたと報道された「金正男氏」も、本人同意の上での”影武者”で、さらに、マレーシア航空機失踪事件も、シリア情勢から世論の関心を反らすためにおこされたものです。

 

 

横田めぐみさんは、20125月、7月、9月の3回、密かに日本に帰国して警察当局と交渉しましたが、当局側が全く話を信じず、話にならなかったため、「今後は皇室関係者(京都皇統)と相談する」と言い残して北朝鮮に戻っていったとされ、目下、めぐみさんをどのようなタイミングで表舞台に出すか、それとも秘密裏に帰国させるか慎重に検討されています。

 

 

一方、横田めぐみの母「横田早紀江」さんは、李氏朝鮮皇太子「李垠」と「梨本宮方子(まさこ)」の間に生まれた子で、「古代ウバイド系天孫王朝」としての正当性を再確認したい北朝鮮の金一族は、旧朝鮮王室と日本皇族の血を引くめぐみさんを、金正日の「妻」として欲しがっていました。そして、手段は荒っぽい方法となりましたが、これが拉致事件が起きた理由です。

 

 

ところで、北朝鮮に金策を送り込み、日本の”傀儡国家”にした國體京都皇統の目的は、偏に「満鮮経略」、すなわち、満州から朝鮮半島を国防のための緩衝地帯とするとともに、東アジアの古代史を背景とする「大亜細亜主義」を推進して、「五族協和」「王道楽土」の実現を図ることにあります。  

 

 

北朝鮮が日本の國體京都皇統の意向で動いている一つの証拠は朝鮮戦争です。すなわち、敗戦で日本が武装解除されていた隙間を狙って、韓国の李承晩政権は李承晩ラインを宣言、竹島の他、対馬と九州までも狙って半島南部に軍を集結させました。そこで、これを阻止するため金策は朝鮮戦争を起したのです。 

 

また、 朝鮮戦争を起したもう一つの目的は、戦争特需による日本経済の復興にありました。もちろん、これには大規模な國體ファンド(國體黄金)も投入されましたが、その相乗効果で日本は見事に戦後復興を果たしたのです。 

 

 

一方、これに対し米国も朝鮮戦争に参戦、共産主義の進行を阻止する名目で動きます。が、これにより南主導で半島が統一され、「統一韓国」ができてもそれは米国の傀儡政権になり、アジア諸国の欧米支配からの解放を謳った「大東亜戦争」の理念に背馳(はいち)します。

 

しかし、日本の息のかかった傀儡国・北朝鮮による統一であれば、日本にとっては"北方脅威からの砦"を築けるとともに、「大亜細亜主義」の理念に叶うと金策と京都皇統は考えたのでした。 

 

また、20101020日に韓国が対馬侵攻のため大部隊を集結した時も、これを知った北朝鮮軍が集結。同じく習近平政権に批判的で日本の満鮮経略による満州独立に賛同する中国人民解放軍の「瀋陽軍(満州族)」も中朝国境地帯に約30万人の兵力を集結。そして1123日、北朝鮮は「延坪島」を砲撃しました。

 

 

現下の朝鮮半島危機も、以上のような日本の国是である「満鮮経略(第二次河豚計画)」にしたがって、再び朝鮮半島を日本の緩衝地帯にするための動きで、その先には「支那の六分割」と「満州国の再建」、そこへのイスラエルの移転による世界平和の実現という大戦略があります。

 

先日、金正恩氏と米国トランプ大統領の三回目の会談が行われましたが、米国がとっていた以前の強硬姿勢はどこへやら?、極めて友好的なムードで行われ、彼ら関係者がすでに裏で合意していることを色濃くにじませていました。

 

 

なお、「満鮮経略(第二次河豚計画)」に従い、いよいよ実行が迫った北朝鮮主導による半島統一に向け先日、國體京都皇統の密使である“某”舎人(とねり)が北朝鮮を訪問、金正恩との間で会談を行いました。

 

卓を挟んで舎人が、「半島を統一する覚悟はあるか?」と意思確認をすると、金正恩は数分間舎人を睨みつけたあと、黙ってただ頷いたということです。

 

京都皇統は國體ファンド(國體黄金)の管理していますが、このうちから半島統一に必要な軍資金と、張作霖の流れを汲む人民解放軍・東北軍管区の瀋陽軍にも、満洲独立に必要な軍資金の拠出を決定しました。韓国と違って北朝鮮が日本皇室を批判、誹謗など一切しないことを見れば、彼らと日本がどのような関係にあるかはおのずからわかるはずです。

 

そして、実は、中心人物だった周恩来、王希天、呉達閣が日本に留学し、京都皇統(京都大学)で学んだ中共も、強勢化するソヴィエト・コミンテルンから日本を守るために、國體京都皇統によって作られたもので、毛沢東も大のコミンテルン嫌いで、大戦中は国民党軍の情報を日本軍の特務機関長・影佐禎昭大佐や外務省岩井公館の岩井英一に流し、支那派遣軍総司令官・岡村寧次大将と和平交渉するため、接触を試みていたのです。

 

ともあれ、先帝(上皇)陛下による、平成十三年十二月十八日の「朝鮮半島所縁(ゆかり)発言」とともに、ご夫妻が平成二十九年九月二十日から一泊二日で埼玉県日高市にある「高麗(こま)神社」への参拝されたことで、世間にさざ波が立ったことは記憶に新しいところですが、

 

ここで古代の日本と半島、特に現在の北朝鮮との関係を述べると、そもそも「高麗(こま)」とは、古代朝鮮の「高句麗国後期」を指すが、先帝陛下のご発言とご参拝は、ウバイド系縄文海人族とウバイド系大陸騎馬族との混交によって作った“天孫族”の王子・王孫を、半島直轄領の任那から「ミマキイリ彦イニエ(御間城入彦五十瓊殖)」すなわち「第十代・崇神天皇」として、また、「ヒコフト(彦太尊)」すなわち「第二十六代・継体天皇」として、さらに、「ホムダワケ(誉田別)」すなわち「第十五代・応神天皇」として、そして「ヒロニワ(天国排開広庭)」すなわち「第二十九代・欽明天皇」として、わが国に奉迎したことをが背景にあります。

 

なお、未だ現地に残っている拉致被害者の皆さんは現在、自らの意思で上記目的を実現するため残留して活躍されており、まもなく役割を終えると密かに帰国する予定です。

 

ちなみに、横田滋、早紀江ご夫妻も以上の情報を把握されており、すでにめぐみさんとの面会も果たされていると聞いていますが、その証として、ご夫婦ともクリスチャン(プロテスタント系)でありながら、南朝・後醍醐天皇を主祭神とし、併せて楠木正成を配祀する𠮷水神社(奈良県吉野郡吉野町吉野山)に参拝され、碑を奉献されています(以下の写真)。