2019.08.15
# 戦争

1945年の日本に降り注いだ「模擬原爆・パンプキン」の恐ろしい話

とてつもない数の日本人が命を奪われた

日本人が「練習用の爆弾」で命を奪われた

1945年、第二次世界大戦が終戦を迎えようとしていた直前、日本全土に「パンプキン」という名の爆弾が大量投下されていたことをご存じだろうか。

原爆「リトルボーイ」が投下された直後の広島〔photo〕gettyimages

パンプキンは「模擬爆弾」と呼ばれるもので、じつはアメリカが日本に原爆を投下するにあたって、その練習のために作った原爆そっくりの爆弾である。

終戦から74年が経ち、戦争の記憶は徐々に風化しつつある中、「そんな爆弾があったのか?」と驚く人も少なくないのではないか。

じつはこのパンプキンの存在については、戦後長らく一般の人に広く知られることはなかった。終戦から74年たった今、その存在についてしっかりと考えてみたい。

 

そもそもパンプキンとはなにか――。

1945年のあの夏、長崎に投下された原爆「ファットマン」と形、重さまでそっくりのもので、かぼちゃのような丸い形をしていたことからパンプキンと呼ばれた。

前述したようにパンプキンの存在は戦後長らく一般の人に広く知られることはなかった。しかし、パンプキンについて詳しい『パンプキン! 模擬原爆の夏』によれば、1991年に愛知県の「春日井の戦争を記憶する会」がアメリカ軍の文書を調べたところ、模擬原爆の詳しい内容がわかるようになったという。

パンプキンには核物質は含まれない。あくまで原爆投下時の軌道や特性を調べるためのシミュレーション用に作られたものである。

しかし、だからといって被害を生まなかったわけではない。むしろパンプキンは約4.5トンの巨大な爆弾であったため、日本全国の投下先では、多くの悲劇を生み出した。

パンプキンによる被害者の数は死者400名以上、負傷者1300名超――。とてつもない数の日本人が「練習用の爆弾」で命を奪われたのだ。

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